なぜ?は大事だが、こだわりすぎないことも大事

根本原理はかなり難解

解法や公式を暗記しても意味がない。
なぜ、それが成り立つのか、なんでそうなるのかを考えよう。

算数教育において声高らかに繰り返されている主張ですが、
この主張をまじめに堅苦しく言葉通りに受け止めすぎないことも、ときには必要だと思います。

「なぜそれが成り立つのかを考える」という学習態度は素晴らしいことなのですが、
考えても考えてもよく分からないというときもあるものです。
考えれば考えるほど迷宮に入ってしまうような類の話題もあります。

例えば面積図を平均に用いると便利だと習ったとき。
どうしてこのような図になるのか、すんなり納得できなかった生徒がいたとします。
わかったようなわからないような、そんな不安定な理解の状態というのはよくあることです。

このようなときは、面積図の使用方法を正しく覚えてしまえばそれでOKなのです。
解法暗記とも批判されかねないのでしょうか?
そんなことを言っていたら、一歩も前に進めないのではないかと思います。

面積図の使用方法を覚えた後、その使用方法が本当に正しいかどうかを、
様々な問題に適用していくことで確かめていく学習が必須です。
自分の理解している使用方法が本当に正しいのかどうかを、
自らの目と手で演習を通じて確かめていくのです。
実例を通じて自ら面積図をいじくりまわすことで、
なぜこのような図なのか、面積図が表しているものが何なのかなど、真の理解に至っていくのです。

このように実例を経験していく中で、真の理解に至るということは極めて真っ当な学習方法です。
実例の経験を一切しないで、一を聞いて十を知るような天才少年、少女もいるのかもしれませんが、
全員が全員天才である必要もありませんし、もちろん天才じゃないですし・・・

分数の割算はどうしてひっくり返してかけるのか

批判されるべき解法の暗記は、ある特定の1問にしか使えない解方の暗記です。
ほんの少し問題設定を変えられただけで解けなくなるような無意味な式の暗記などしてはいけません。
しかし、汎用性のある事柄やその解法は覚えてしまってなんら問題ありません。
もちろん最終的には理解を伴った暗記になることを目指しますが、
学習初期は理解しているのか、していないのかさえよく分からない、
理解と暗記のごちゃまぜのような状態からスタートをきるものです。

また、「定義」に関する箇所は深入りしない方が良いことが多いです。
なぜそのように定義するのか・・・
これを考え出すと多くの場合は迷宮がまっています。
真に難しい議論が待っています。
トートロジー(同語反復)に陥ることもあります。

小学生が一人で定義に関する深入りをするとは思えませんが、
教える側が勝手に深入りして無駄に難しく指導してしまう危険をはらんでいます。

筆頭は、分数です。
分数の割算はなぜひっくり返してかけるのか。
これが議論にあげられることがよくあります。

なぜひっくり返すのかを、小学生にもわかるように説明する方法をちらほらと見かけます。
(式変形か面積図が主流です)

あれはあれで一定の教育効果があることは否定しません。

しかし、

分数の割算はなぜひっくり返してかけるのか。

これの答えは

分数がそうなるように表記されているから

です。
狐につままれたような気分の人もいるのでしょうか?

あらゆることに「なぜ?」を追求し、妥協なく進めていくのならば、
そもそも分数ってなんなの?
という疑問はなぜもたないのでしょう。

そっちの方が自分にてとっては驚きです。
この議論はこの着眼がすべてです。
2つの数字を上下に並べて1つの数として扱う、
これってかなり変なことだって疑問はなぜあがらないのでしょうか。
これは取決めなので、疑問を持ってもしょうがないのですが、
この取り決めに従うのならば、分数のわり算は自動的にひっくり返してかけることになります。

根本原理ほど難しい、という面があります。
ユークリッドの第5公理の話なども有名ですね。

冒頭にも書きましたが、

解法や公式を暗記しても意味がない。
なぜ、それが成り立つのか、なんでそうなるのかを考えよう。

算数教育において声高らかに繰り返されている主張ですが、
この主張をまじめに堅苦しく言葉通りに受け止めすぎないことも、ときには必要だと思います。

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