解法暗記は悪であるという誤った認識

『代表的な問題の解法は暗記してしまおう。』
『いやいや、解法を暗記してはいけない。いずれ伸びなくなる。』
相反するように聞こえるこの2つの説。

算数と暗記について話題になるとき、ほとんどがこの「解法の暗記」についての議論と言えるでしょう。

現在の算数指導において、『解法は暗記してはいけない派』が大多数を占めているような風潮を感じます。

  • 算数は思考力が大切である。
  • 算数は原理からしっかり考えて理解していく科目である。
  • 算数における暗記は必要最低限にとどめおくべきである。

これらの意見はもっともらしく聞こえますが、筆者には違和感があります。

必要最低限とは、どこからどこまでなのでしょうか。
やはり、思考力至上主義がいたずらに「暗記」を悪者にしている風潮を感じないではいられません。
そもそも思考力とはどのような力なのでしょうか?
無から突然ひらめく、夢のような力を想定している教育者がいるとは思えません。

『問題の解き方を覚えてはいけない。』
もし、この言葉を額面通りに受け取って、算数の学習方法がまったくわからなくなってしまっている子がいるとしたら・・・
思考力至上主義派よる実害といえるでしょう。

完璧に理解したものは自然と暗記してしまう

代表的な問題の解法は暗記するものであると私は確信しています。

やはり「暗記」という言葉が、悪い印象・誤解を与えてしまうような気がしますが、
「代表的な問題の解法は暗記するものである」は、間違いなく真実です。

もっと詳しく言い換えると以下のようになります。
『代表的な問題は、完璧に理解するまでやりこまなくてはならない。
完璧な理解とは、他の人に解法を説明できるレベルである。
このレベルになると、その解法を自然と暗記してしまっている。』

このような学習を1問1問丁寧にやっていくべきです。

受験の算数において、まったく新しい新規の斬新な問題が出題されることはありえません。
受験算数とは、「決められたルールの中で作られた問題を解く」ものです。
決められたルールとは、たとえば速さなら、
「速さ×時間=距離」
この式1つでしか問題を作れないのです。正比例です。
この正比例でしか問題を作れないので、問題はおのずと今まであるものの類題にしかなり得ません。
受験算数とは、定型問題をきちんと理解し、その上で、それを他の問題の中に見つけたり、適用できる能力を養っていくものなのです。

このような学習は実は受験算数に特有のものではなくて、普遍的なものだと言えます。

※注
新規の斬新な問題が、もし万が一出題されたら、受験生全員が不正解になるだけで何ら合否に影響を及ぼしません。
また、斬新な問題を1問程度出題する学校もあります。
筆頭は栄光学園です。もちろんこの1問は誰も解けないので、まったく心配無用です。

※注
算数オリンピックの問題でさえ、結局は知識ありきだと思います。これは算数オリンピックの出題を責めたいわけではなくて、算数という科目がそもそもそういうものだと言いたいだけです。

※注
囲碁・将棋の世界も、基礎知識抜きに上達することはありえません。ある程度のパターン暗記が必須です。
そのパターンをどれだけ自分流に整理、理解、構造化するか、これが各自の能力次第です。

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