3:ケアレスミス 文章の読み違え

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今回は、問題文の読みちがえについて私見を述べたいと思います。

問題文を読むのは簡単なことではない

問題文の読み違え、にも様々なケースがありえます。
こと細かに分類し、分析することはおそらく無意味なのでしません。
もっと大枠で捉えた話を書きます。
文章を読むということは、それ自体かなり負荷のかかる行為である、という主張です。

問題文の読み違えをケアレスミスに分類する人は、
日本語の文章は誰にでも読めるもの、
問題文を読むのは簡単なこと、
ということを暗黙の前提としています。

確かに、「算数の文章題が解けるか否か」という点に着目しているとき、その問題文が正しく読めているかどうかは一つ次元が下の話です。読めていることを前提として話がはじまっています。

しかし、「問題文を精密に読むこと」は、実はそれほど簡単なこととは言えないのです。

日本語力が低い日本人はたくさんいる

日本人なら等しく日本語のエキスパートである、という見解をお持ちだと思いますが、
日本人の中にも日本語能力の優劣がある、と言われたらいかがでしょう?

言われてみればあたりまえの話ですよね。

お子さまが非常に幼かった頃を思い出してみてください。
日本語能力が圧倒的に低い日本人です。
それが徐々に年齢を重ねていき、いつのまにか大人と変わらないくらい流暢になり、やや難しい文章も読めるようになっていきます。日本語の能力自体もゼロからはじまって徐々に積み重ねていくものなのです。
ようやく1人で文を読みはじめた頃のお子さまを思い出してください。
文章を読むという行為がかなり大変な負荷のかかる行為である、
長い訓練を経て培っていく能力である
ということがご理解いただけると思います。

また大人になれば誰でも日本語のエキスパートになれるのでしょうか。
そうとも言えません。
難しい文章を読める人、読めない人、
論理的で明解な文を書ける人、書けない人、
能力の差は歴然としてあるのです。

さて、
たった今、お子さまの日本語力はいか程のものか考えてみてください。
精密に問題文を読み解く力があるのかどうか、考えてみてください。
文章を読むという負荷のかかる行為に対する免疫はどれほどついているのでしょうか。

問題文の読み違え、とはそれほど単純な要因で起きているとも言えないのです。

古くから「読み、書き、そろばん」と言われています。
これらの能力は人間の知的活動の根本を為す基礎の土台であり、一朝一夕で身に付くものではありません。
問題文の読み違えをしないという能力も、根本的に言えは長い時間かけて積み重ねていくしかないのだと言えます。

問題文の読み違えを、ケアレスミスと単純にくくってしまって良いのかは大いなる疑問です。
おそらくケアレスミスではないのだと思います。
短時間に大量の文章を正確に読み取ること。
これ自体も長期間かけて伸ばしていくべき能力であると認識しておかないといけません。

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